最近の思うことメモ

ふと、スマートフォンを解約しようかなと思う。
いや、アプリの中には便利なものもあるから、自分で制限すればいいのかな?
うーん、それじゃつまらないな。
ザッピングみたいにスマートフォンの中でダラダラしてしまうのをやめたいなということ。

結局は他人の自我、装飾が鬱陶しく思うのは、自分の中のそういう部分が嫌なんだろうな。
昔に比べたら、いろいろどうでも良くなって素直になったけど。
まだまだ修行が足りないな。
もっと高いところから俯瞰したいな、人間を。

手の届く範囲にあるものを大切にすること。
大切にしたいものを見えない場所に置かないこと。
大切にしていることを隠さないこと。

丁度良いタイミング

自分に対するどうでもいい時間を捻出するために、いわゆる早起き生活をしてみている。
ひとりの時間をダラダラできるのは、たいへん貴重だ。
有意義なことをするための時間ではないとしたため、存分にダラダラできるのが良い。


2年半ぶりに、毎日のようにPCを開く生活に戻り、自分がほんとうに子育てしかしてこなかったのだなあと感慨深い。
タイムスリップ、浦島太郎だ。
しかし、そのことをとても嬉しくも思う。
自分がこんな性質とは知らなかったけれど、私は子をおそらく溺愛しているし、その成長を出来るだけ見逃さないようにしたいし、それを独り占めしたい。
その通りに出来たのだなあという満足。
これからどんどん外へ向かって離れていく子。そろそろ、そういう時期だと思う。
自分も、また外へ向かう頃合いかな。
丁度良いタイミングでいろいろ変化するなあ。

どうでもいいエントリ

少しだけカテゴリ等を整理しました。
そのときに過去のエントリをちょこちょこと読んで、いろいろ考えて生きてるいるなーと思った。
わりと、最近はここを書くときは落ち込んだり真面目になってるときが多いので、もっとどうでもいいことを書いていきたいなーと思います。

あとちゃんとカテゴリ設定とか段落とか…
てきとうに書きなぐるのに慣れちゃうとそういうのめんどいなー

いっそはてなブログに引っ越そうかなとも思ったけど、ダイアリの閉鎖感が好きなのでまだこちらで続けたいと思います。

というどうでもいいエントリを更新して気分良く。

向き合いたかった

生活の細かいことを見直している。
大きなところはいくつか改善してきているのだけど、細かいところは”とりあえず”の積み重ねで来てしまっている。
2012年からの話。

PCの中も、全然。
好きだったブログサイトとか、見に行ったら更新が止まっていることのほうが多いくらい。
私も、引っ越しを重ねているので同じかもしれない。
しかしここの右側のカテゴリとかぐちゃぐちゃだなあ。

細かいところを見直すぞ、という心を決めたことだけで、清々しくなっている。
保留にしてきた問題に向き合うのは、意外にもワクワク楽しい気分。
向き合いたかったのだろうな。

抱負2015

そうそう、ついでに、今年の目標的なものを(今更)。

  • 本を読む
  • 何かしらアウトプットを継続的に
  • 保留にしてきたこと、とっちらかってることをまとめる
  • 物減らし

子も徐々に独り立ちしてきたことだし、自分の再構築を始めよう。

宇宙に解き放つ

ちょっとしたことで、将来を思いっきり悪い方向に想像した。
もしかしたらちょっとしたことではなかったのかも知れない。
そのときの自分にとっては、些細なことではなかったのは事実だ。

何より先に優先して考えたのは、自分と子の身の安全、だった。
はずなのだけど、行き着く場所は自分と子の孤独死、だった。

最近はのほほんと毎日を過ごしているのだけど、そういう極端な暗黒思想はずっと持ち合わせているのだな、と再確認した。
嬉しいことではないけれど、でもやっぱり少し嬉しいのかもしれない。

こんなどうでもいい文章を書いてみるほどには機嫌が良い。
インターネットは僕の友達。いや、PCは僕の友達、だろうか。
これがオフラインだったとしても私は満たされるのかな?
自分という宇宙に解き放つのなら、同じことなのかもな。

今、届いて欲しい誰かはいるのかな。
少し考えてみたけれど、未来の自分、以外に思いつかなかった。
オンラインに書くのは、保険かな。

わからない感情

名前の知らない感情がある。
地球を外側から見ているような、マリアナ海溝の淵に立っているような。
内側にブラックホールがあるようで、全ての感情が吸い込まれて無くなっていくような。
ついさっきまであった高揚感とか、すぐ近くにあるはずのひとの存在とか、あっという間に遠くなって、例え触れても決して混ざりあえない。分かち合えない。
虚しい、寂しい、世界から拒絶されている。私が拒絶しているのか。
身体が霧散して、蒸発して消えてしまうイメージ。

子供の頃から持っている。
それをうまく表す言葉を知らない。
絶望というほど積極的でもない。
終わり、死という言葉が近いのか。
だとしたら私は生まれ変わっているのかな。

その感情の始まりは、予感した頃にはもう包まれてしまっている。
ただ過ぎるのを待つしかできない。
できることなら、この先味わうことなく過ごしたい。
だけど名前のわからない感情を持っていることを、少し嬉しくも思う。
それは大衆的な、マスコミに踊らされる自分を楽しむのに似ているかもしれない。
理性のコントロール下にないもののあることは、嬉しい。
だから思い出して、書いてみたけれど、上手く伝えられない。

written by iHatenaSync