仮面の下の感覚

昨日、ブーンと車で買い物へ。
帰り道、後部座席で息子は寝てしまったので、ひとりドライブを味わう。

車を走らせながら何の気なしに聴いていたキセル、ふっと現在の風景と混ざり合って、急に泣きそうになる。

夏が来るよ 同じ顔で

私は、この街をまだまだぜんぜん知らないなぁと。
ぜんぜん知らないまま離れようとしているな、と。
気になっていたお店も、きっと知らないまま離れて、もう永遠に訪れることはないのだろう。
ここで暮らすことと、向こうで暮らすことと、一体何の違いがあるのだろう。
どこでだって同じように、人が暮らしている。

この気持を覚えておこうと思った。
そして、覚えておこうと思ったことを、私であるなと嬉しく思った。

親になるということは、新しい仮面を手に入れることだ。
無意識に、その仮面はつくられて、いつか仮面越しで暮らすことを当たり前と思ってしまう。
夫を見ていてもそう思う。
今まで知っていた彼とは違う行動を、きっと無意識でとっている。
それは親の仮面のせいだ。
忘れてないつもりだったけど、忘れていたみたいだ。私を。

もちろん、必要で大切な仮面だけれども。
その下の感覚を、けっして無視したりしないで、ときには思い出していきたいと思った。