オリンピックと24時間テレビ

オリンピックというものに対して、特別に興味を持っていなかったし、24時間テレビなどというものについては、嫌悪感を持っていた。

しかし昨年、7月に子を産み、新生児の世話に明け暮れる生活の中、夜更けに点けるテレビで流れるそれらに、なんという安心を感じたことか。
家族も近所も寝静まる中、未だ昼夜の区別のあまりない赤ん坊に数時間置きに起こされ、授乳だ調乳だオムツ替えだ搾乳だと追われ、ふとした孤独、いま私だけが活動しているような、世間から疎外されているような感覚。テレビを点けると、まさに同じ時に、走ったり跳ねたりを全力でしている人たちがいる。世界のどこかに、今、必死な人が他にもいる。またはどうでもいいことをしている人たち、私が子を産む前と変わらぬ世間が今この時も存在している。

そのことのなんと心強かったことか。

だからといって、今年は別に24時間テレビというもの、見なかったし、次のオリンピックも楽しみにしていないし、多分見ない気がする。
だけどあのときのあのかんじ、ときどき思い出す。
オリンピックはとても神聖なものにみえたし、24時間テレビはとてもあたたかかった。